久保建英って、まさかあの伝説の久保嘉晴!?
初めて久保健英を知ったときは、あの伝説の久保嘉晴の実写版かと思いました。
彼がまだ16歳頃、Jリーグに出場するようになってからです。
その当時から、いえ、それ以前からだと思いますが、彼は日本人離れした活躍をしていました。
それ以来、彼がテレビで紹介されるたびに大興奮。
そして久しぶりにサッカーに熱狂しています。
なぜなら日本の至宝、久保健英がサッカー日本代表として世界中の注目を集めているからです。
- 【天才ストライカーと呼ばれた男、久保嘉晴とは?】
- 【不利な体格差をテクニックでカバーする久保建英の凄さ】
- 【ワールドクラスのテクニシャン!久保建英】
- 【久保建英の驚きの経歴】
- 【久保建英のプロフィール】
- 【まとめ】
【天才ストライカーと呼ばれた男、久保嘉晴とは?】
久保嘉晴は有名なサッカー漫画、「シュート!」の人気キャラです。
■久保建英と久保嘉晴の共通点
久保健英はスペインに留学していましたが、久保嘉晴もドイツ留学を経て、静岡県掛川高校へ入学。
(共通点は苗字と海外留学のみ!)
■シュートのストーリー
中学時代からの相棒,神谷と共にサッカー部を創設した久保は、部員集めに奔走する。
主人公の田中俊彦を食う存在感を放っていましたが、高校2年の初めに白血病を患ってしまいます。
そして迎えたインターハイ静岡県予選準決勝で「奇跡の11人抜き」を成し遂げた後ピッチ上に倒れ、交代後にそのまま控室で亡くなりました。(1991年8月9日死去)
泣いた。もうここ堪らない。(TOT)
私は青春時代に、リアルタイムで人気サッカーマンガ、「シュート」を読んでいて、全巻揃えました。
あの、ありえない描写満載の「キャ◯テン◯」よりはマイナーですが、筆者お勧めの青春サッカー漫画です。
中学に入学してから、私はユースチームに所属していた友人たちに声をかけ、それまで学校になかったサッカー部を立ち上げたので、久保がサッカー部を創立する物語には引き込まれました。
もちろん主人公が徐々に実力をつけ、勝ち上がって行く姿も見所。
個人的には、エリートの父親にサッカーを続けるのを反対されていた平松和広のエピソードもお気に入りです。
【不利な体格差をテクニックでカバーする久保建英の凄さ】
異例の速さでU-20年代の代表に引き上げられ、15歳の久保が20歳の外国人選手と競り合うのですから、フィジカルで負けることは当然あります。
身長は173cm、体重は67kg。今でもそれほど大きくはありません。15歳だった当時はなおさらです。
普通ならガタイのいい選手たちの中で埋もれてしまうのですが、彼はそこをわきまえて、競り合うのは最小限のコンタクトに留め、周りをうまく使っていたため、フィジカル面で潰される場面はそれほど多くありませんでした。
アシストして味方を生かしながら、自分も活躍できる器用な選手です。
シュートの精度の高さ、ゴール前での冷静沈着さといったストライカーとしての素質に加えて、的確な判断力を兼ね備えています。
東京2020メキシコ戦で先制点を決めた久保
久保建英は、2019年に18歳という若さで日本代表に選出。
そして、あのスペインの名門、レアルマドリードに18歳で移籍し、その後レンタル移籍先のマジョルカで経験を積んでいます。
スペインメディアからの評価も非常に高く、「いつレアルに呼び戻されるのか」と、頻繁に話題になっています。
【ワールドクラスのテクニシャン!久保建英】
久保の 凄いところは、何と言っても群を抜くテクニック!
ボールが足に吸い付くようなドリブル突破は、日本のメッシと言っても過言ではないかもしれません!
久保は15番が好きだそうですが、なぜ彼にエースナンバーの10番を背負わせないのか、ちょっと不思議なくらいです。
3歳の時にサッカーを始め、彼が与えられ、また、勝ち取ってきた環境がそのドリブルを可能にさせたのでしょう。
彼が幼い頃のドリブルにも、その可能性を感じさせます。
またスルーパスやクロス、コーナーキックやフリーキックの精度も非常に高く、アシストもできます。
明らかにワールドクラスのテクニシャンと言えるでしょう。
彼がJ3で燻っていたときに、J1に移籍を望んだのも当然だと思います。
驚異の飛び級を果たしてきた久保を、J3に留まらせるなんてとんでもない宝の持ち腐れですよね。
スペイン語も堪能で、世界レベルのチームメイトや大先輩にも物怖じしない性格も彼の魅力の一つです。
【久保建英の驚きの経歴】
2009年8月 パンフレットに「MVPに選出された選手はバルセロナと試合が出来るチャンスが与えられる」との告知を見て参加したFCバルセロナキャンプでMVPを獲得。
2010年4月 FCバルセロナスクール選抜として大会に参加。チームは3位に終わったが、通常は優勝チームから選出される大会MVPに選出。
2011年8月 FCバルセロナの下部組織カンテラ入団テストに合格し、スペインに渡る。
2016年4月 中学3年生の時に、FC東京U-18に飛び級で昇格。
日本クラブユースサッカー選手権に飛び級で出場。大会史上初の中学生の得点王になる。
2016年11月 J3リーグに後半開始から出場し、Jリーグ史上最年少記録を更新。
2017年4月 Jリーグ最年少得点を記録。
J3リーグに所属している現状に痺れを切らし、FC東京首脳に「新しいチャレンジがしたい」と直訴。
久保がJ1でのプレーにこだわったため、横浜F・マリノスへの期限付き移籍をすることになる。
2019年5月 キリンチャレンジカップの日本代表メンバーに初選出
2021年 東京2020オリンピック、日本サッカー代表として出場。中心的な活躍を果たすも、3位決定戦に敗れ4位に終わる。
■なぜマジョルカへ?
レアルマドリードは既に外国人起用枠を使い切ってしまったため、やむを得ずまた久保をレンタルすることになってしまいました。
東京2020オリンピックで3試合連続得点を決め、十分に存在感をアピールした久保の元には、各チームからオファーが殺到。
結果的に2021シーズンはマジョルカでプレーすることが決まり、マジョルカファンは歓喜しています。
2019年から久保はマジョルカ、ビジャレアル、ヘタフェと期限付き移籍を繰り返してきました。
結果的に、2020シーズンに成長できる環境として期待していたビジャレアル、ヘタフェでは、あまり出場機会に恵まれませんでした。
一方で、マジョルカでは高い評価を得て出場機会も多かったため、久保自身もマジョルカを希望したそうです。
【久保建英のプロフィール】
誕生日 |
2001年6月4日 |
身長 |
173cm |
体重 |
67kg |
出身 |
神奈川県川崎市 |
ポジション |
MF |
利き足 |
左 |
【まとめ】
東京2020の久保の躍進に、世界中の期待が高まっています。
待望のレアルマドリードで、彼のプレーを目にする日もそう遠くないでしょう。